浦木裕
掰噗~
沒錯沒錯
浦木裕
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清水@小梅屋第二集發售
神文(無誤
甘田小篆@藐視國會預定對象
很好奇第三張的寫法跟百濟有沒有關係 (thinking)
DragonLord
韓文的歷史其實很短
444きだ
神…神畫符…
姊鷗@人生迷宮
看起來好有氣勢
浦木裕
這一版寫得又不太一樣....
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Blaze→CWT68@K60
真有趣
okitty
神代文字!
浦木裕
剛剛不小心複寫到早上電子化的部分...只好重來(滅)
神字日文傳 上 かんなひふみのつたへ

神字日文傳 かんなひふみのつたへ
浦木裕
甘田小篆@藐視國會預定對象 : 平田主張是源自太占的卜相,事實如何就見仁見智了...

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Will
甘田小篆@藐視國會預定對象 : 好像沒有那麼久遠,大概朝鮮李朝的年代
阿比留文字 - Wikipedia
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浦木裕
浦木裕
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甘田小篆@藐視國會預定對象
Will : 要看哪個說法 因為百濟從西元前到西元600年左右
浦木裕
甘田小篆@藐視國會預定對象
Will : 有沒有關係,主要是想知道有沒有互相影響,誰先誰後也不是那麼重要
Will
因為我認同1700年說才這樣講的
浦木裕
君井君美『同文通考』認為,萬葉集十一巻有肥人之文,訓為こまひと,是即高麗。而韓國至今用諺文,與阿比留字甚近。則以為阿比留文字乃傳自高麗。

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本書作者平田篤胤不贊同此說便是。
浦木裕
殊に彼諺文と云ふ字は,皇國字の彼國にも舊く傳はり遺れるを原と為して,近く我が應永の頃に,彼國人の悉曇章に附會して,杜撰れる字としも知られざるは。此主の博識にとりては,大なる思落しにぞ有りける。
浦木裕
其は先づ伊藤長胤が三韓紀略の方諺略と云ふ篇に:「洪荒之世,以識相付。人文既開,國各有文。篆隷旁行,皆通其故。西韓之人,自漢以來,專用漢字。【篤胤云ふ,此は長胤何によりて說へるにか,韓地にて漢字を用ひたるは,此よりは猶後無りき。其由下に云ふを見て知るべし。】及明之中世,初傚悉曇半滿之製為國字,名曰諺文。」と記し。彼國の慵齋叢話と云ふ書に,「世宗設諺文廳,命申高靈成三間等製讀文,終覺八字。初聲八字,中聲十一字。其字體,依梵字為之。本國及諸國語音,文字所不能記者,悉通無礙。洪武正韻諸字,亦皆以諺文書之。遂分五音,而別之曰牙、舌、脣、齒、喉。脣音有輕重之殊,舌音有正反之別。字亦有全清、次清、全濁、不清、不濁之差。雖無知婦人,無不瞭然曉之。聖人創物之智,有非凡力之所及也。」と云へる文を引きて,
浦木裕
殊に彼諺文と云ふ字は,皇國字の彼國にも舊く傳はり遺れるを原と為して,近く我が應永の頃に,彼國人の悉曇章に附會して,杜撰れる字としも知られざるは。此主の博識にとりては,大なる思落しにぞ有りける。
浦木裕
其は先づ伊藤長胤が三韓紀略の方諺略と云ふ篇に:「洪荒之世,以識相付。人文既開,國各有文。篆隷旁行,皆通其故。西韓之人,自漢以來,專用漢字。【篤胤云ふ,此は長胤何によりて說へるにか,韓地にて漢字を用ひたるは,此よりは猶後無りき。其由下に云ふを見て知るべし。】
浦木裕
及明之中世,初傚悉曇半滿之製為國字,名曰諺文。」と記し。彼國の慵齋叢話と云ふ書に,「世宗設諺文廳,命申高靈成三間等製讀文,終覺八字。初聲八字,中聲十一字。其字體,依梵字為之。本國及諸國語音,文字所不能記者,悉通無礙。洪武正韻諸字,亦皆以諺文書之。遂分五音,而別之曰牙、舌、脣、齒、喉。脣音有輕重之殊,舌音有正反之別。字亦有全清、次清、全濁、不清、不濁之差。雖無知婦人,無不瞭然曉之。
浦木裕
聖人創物之智,有非凡力之所及也。」と云へる文を引きて,【慵齋叢話の事,同書文籍彙條に,慵齋叢話十卷,共成公文所著と見えて,軈て朝鮮國人の著はせる書也。予は未だ其書を見ず。】訓蒙字會なる,諺文字母と云へる條に,その隨に舉げたり。【訓蒙字會も,朝鮮の書にて,此書の事も,文籍彙の條に,訓蒙字會三卷,折衝將軍,行忠武衛副護崔世珍著。四字類聚諧作書,總三千三百六十字。皆記天地山川、島獸草木、器物顏色,每字下加音釋諺文及註,嘉靖六年序と有り。】其字母,復造字の事を著せる訓蒙字會の文,左に舉ぐるが如し。
浦木裕
韓文也好難搞...
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浦木裕
浦木裕
故其に基きて,諺文を製れる事,更に疑無き物也。其を委曲に論はば,先づ早く釋日本紀に,肥人之書と云へる書は,軈て今傳ふる日文なる事,乃川等字明見之と說へる字の,正しく存れるを以て灼然く。日文は本にて諺文は末なる事,釋紀を著はせる卜部兼方は,開題記にも記せる如く,龜山院天皇の御世より,花園院天皇の御世當り迄の人にて,釋紀は其年間に出來たるに,其に引たる私記に,肥人之書を古書と為たれば,其甚古き書也し事知るべく。
浦木裕
此私記を,康保私記と為たらむにも,諺文を製れりと云ふ朝鮮の世宗が時よりは,四百六十年許も前なるに,其に既に古書と為て,和字の始と為すべしとさへ言へるをや。復彼說を,私記の說ならず,釋紀の說と為たらむにも,釋紀を記せる年は詳ならねど,正安三年に書寫の奧書ある。其年より彼朝鮮の世宗が元年は,皇國の應永二十六年に當れば,百十九年間有り。
浦木裕
然れば釋紀に,肥人之書の事を記せる年より,朝鮮にて諺文を作れる年迄,其間二百年許もや有るべき。此を以て日文の甚古く,諺文の甚後なる事は,更に論無し。復諺文を,日文に基きて作れる字なる事,上に引出でたる。初聲終聲通用八字の中なるㄱ、ㄴ、ㅁ、ㅅは,古の儘に甚正く傳はれり。匸は,正くはㄷとあるべきを,少か形を訛傳へ。ㄹは正くはコとあるべきを,下にㄴの付たるは訛也。【予が集めたる日文の中にも,二本,コをㄹと作るが有るは,諺文の訛を受たる後人の賢しらせる字也。】
浦木裕
最新一段應該要用ㆁ,下班再改
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