浦木裕
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夜空に照る月。上二段「盡く」の連用形から名詞となった物であろう。月は満ち欠けする物で、「盡く」との関係が考えられる。キは乙類。万葉の東歌には「つく」の形がある。また古く「とき」という形があったらしく、「あかとき」とは「あかつき」の事である。
都奇(月)待ちて家には行かむわが挿せる赤ら橘かげに見えつつ[万4060]
都奇(月)見れば同じ國なり山こそば君が邊を隔てたりけれ[万4073]

[名義抄]に「月ツキ、ヨル、カクル」とみえる。月を吟詠の対象とすることは、中国では叙景詩がようやく成立し始めた六朝期に入ってからのことであるが、わが国では[懐風藻]等に、すでに六朝詩文の影響があらわれており、[万葉]にも中国詩文の発想を承けるものが見られる。
浦木裕
4060 粟田女王歌一首 【承前,七首第五。】

 都奇麻知弖 伊敝爾波由可牟 和我佐世流 安加良多知婆奈 可氣爾見要都追

 月待ちて 家には行かむ 我が插せる 赤ら橘 影に見えつつ

 待月出之後 肆宴盡歡歸吾家 我之所髻首 鮮豔朱紅橘實者 映照月影綻輝光

粟田女王 4060
 右件歌者,在於左大臣橘卿之宅,肆宴御歌并奏歌也。
浦木裕
4073 越前國掾大伴宿禰池主來贈歌三首

 以今月十四日,到來深見村,望拜彼北方。常念芳德,何日能休。兼以隣近,忽增戀。加以先書云:「暮春可惜,促膝未期,生別悲兮,夫復何言。」臨紙悽斷,奉狀不備。

三月十五日,大伴宿禰池主
一、古人云 【○蓋柿本人麻呂 2420 寄物陳思。】

 都奇見禮婆 於奈自久爾奈里 夜麻許曾婆 伎美我安多里乎 敝太弖多里家禮

 月見れば 同國也 山こそば 君が邊りを 隔てたりけれ

 仰首望明月 身居異處似同國 然顧地上者 吾與君之所在處 山巒險阻隔兩地

大伴池主 4073
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