masaka
國分功一郎『原子力時代における哲学』を読んだ。1950年代にハイデガーは「いかなる仕方で、この途方もないエネルギーが──戦争行為によらずとも──突如としてどこかある箇所で檻を破って脱出し、いわば「出奔」し、一切を壊滅に陥れるという危険から人類を守ることができるのか?」と問い、技術が我々を独占するようになってきたら、それに対してはノーと言う立場を「放下」Gelassenheitとして示した。意思あるいは意思的主体の支配からの脱却。それは中動態に通じるのだと
載入新的回覆