yasura*叫我廢翔*
明治三十年の夏、丹羽圭介氏と相談して、巨椋池(京都府久世郡小倉村ニアル池)の埋立事業を計畫した。コレハ此池を埋め、水をかわかし田地とせば、國家経済より見て有利と考へ、ドウセ儲かる仕事ではないが国家的事業として計畫したのであつた。此仕事に着手する時機は、淀川改修工事と同時に着手し、大々的ポンプ数台にて池の水を淀川へ移流せしむる考へであつた(某ポンプはスぺインより購入の見込)。
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此事業に付ては、既に資本家の賛成も得ていたのである。ソコデ小生は巨椋池の沿村に居住している人々の意向を、或る者を以てソレとなく内々さぐつて見ると、なか〳〵事情複雑を痛感し、へたに手を出せば不成功に終るのみならず、暴徒など起る恐れあり。
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依て時機尚早と小生は相信じ、丹羽氏始め関係者と協議の結果、一應此事業の着手は中止する事に決定した。蓋し此池の干拓事業ほ国家的の事業である故、早晩ドウしても国家が何かの方法にて実行するものと、小生当時信じていた。此巨椋池ハ周囲四里アリ。之ヲ干拓せば、約七百町歩位の田地となる、当時の計算であつた。実に国家的事業である。
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1897年的土地徵收都更w