海舟老師在月球溜滑板車★林小四
刀音讀書memo
海舟老師在月球溜滑板車★林小四
『三道』以後の世阿弥の新作風の能──「成仏させずにもとの所に戻る能」の創始──
唉真的感謝這篇。以前在找資料的時候一直覺得三日月是金春蟬竹在明宿集裡面描繪的翁,但是沒有辦法拿出很確切的說法連在一起,今天不知道為何在翻能山姥的資料突然找到這篇論文,雖然還沒仔細看完但是收穫已經很多了,表示之前的方向還是有意義的。
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>>>山木氏は《芭蕉》と《定家》を分析して、 「一曲のテーマを担った詩的生命体を曲の入口に据え、その詩美を劇的に想像開花させることによって能に仕立て、劇を閉じる時は、ことって一曲の終りに置くの劇性を剥奪して再び詩的生命体に還元して入口と同じ形を」
劇中花是為了劇情服務而盛開,一曲終了後也被剝奪生命還原成開始的模樣。
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前略.
>>この一〇曲は、終曲で、後ジテが成仏したことを示す詞章もなく、または、成仏を願う詞章もない。その代わり、トメで読み込まれる景物(景色)が前場の景物(景色)に戻っているといった風情で終わる能になっている。これらの能を「成仏させずにもとの所に戻る能」と仮に呼称した。
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>>世阿弥が『至花道』で作り出した「闌けたる位」という思想がその後「無」に関する用語や高位の芸境を表す用語とともに理解され、 『九位』で「却来」という禅語の概念と結びつき、 『拾玉得花』で、 「真実の安位・無曲・無心・本無妙花」に結びつく。また、 「却来」は芸論だけでなく、能の詞章にも使用されるようになり、元雅作の《歌占》では「却来」の語が「もとの所に戻る」という意味に用いられている。したがって、 「成仏させずにもとの所に戻る能」一〇曲は世阿弥の「却来」思想を背景とする能であると思われる。
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我的理解是這篇文章的作者闡述世阿彌在創作上的一種風格轉變,故事結尾慢慢的從明確指出主角成佛(被超渡/獲得解脫)到不再具有這種這種成佛情境的描寫,變成恢復到故事初始的景色/景物,作者稱之為「無法成佛回歸原點的能」
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↑這個論點是從世阿彌的却来一詞轉變來的
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DJ プラパンチャ (@prapanca_snares) on X
就某些意思上阿彌陀佛跟阿門本意來說是差不多的(他力本願
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↑這篇提的是因為朝廷把陰陽道、真宗(應該是比較指向念佛的淨土真宗)這些從事宗教活動的人切支丹化進而鎮壓。
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啊找了一下資料感覺也沒那麼單純
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天竺徳兵衛 - Wikipedia
天徳もの
wiki裡面提到了歌舞伎淨琉璃的以島原之亂為藍本的天草軍記物,天草四郎在劇中是個會使用妖術的切支丹(或是朝鮮、中國遺臣的子孫之類的)企圖用妖術顛覆日本wwwww
小時後玩過的格鬥遊戲侍魂的boss天草四郎時貞還真的是個怪怪會用妖術每次都被他的珠珠打得很慘
「蝦蟇(がま)の妖術」に込められ仕掛け - 尾崎光弘のコラム 本ときどき小さな旅
近松大師寫得淨琉璃.傾城島原蛙合戦,七草四郎還是泰衡的弟弟(要素太多了)
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↑上面那篇天草四郎的妖術看到真的覺得幻想要素超多絕世美少年啦天生麗質wwww(而且用的詞彙都好漂亮
話說回來就算歷史人物們的傳說跟生平如此的狗血或是神格化,刀音從來都不用這些東西也是蠻強的(到底誰會在.5做德川家的歷史by我朋
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不過太秦(渡來人)那邊應該是蠶吧(因為渡來人帶來養蠶的技術)
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https://human.hirosaki-u.ac.jp/...
(世阿弥における花の概念について~能が何を表現しているのか~
吉原 由紀)
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