阿一🍜🪔新年快樂!
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戊辰戰爭的歷史知識很薄弱,要看更多資料,才可能看懂推主在說什麼
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明治元年(1868年)の戊辰戦争では、当初新政府方であったが孤軍を恐れ奥羽越列藩同盟に属し、後に脱退。南部藩とは野辺地戦争で交戦した。
弘前藩 - Wikipedia
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慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、当初奥羽越列藩同盟に加盟したものの、12代藩主隆邦は朝廷の上洛命令に奥羽諸大名の中で唯一従い明治天皇に拝謁したほどの勤王派であったことから、久保田藩などとともに同盟を離脱し奥羽鎮撫隊(新政府軍)側についた。
久保田藩 - Wikipedia
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勤皇の為に戦ったのに、途中から倒幕側に寝返った薩摩藩からもこんな罵られ方をされた東北人は、「白河の関以北」という文言を非常に侮辱的に捉えています。
佐々木鏡石@『じょっぱれアオモリ』今冬、角川... on Twitter
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白河以北一山百文
元は侮蔑表現である「白河以北一山百文」という言葉が,東北人の反骨精神を表すフレーズとして使用されるこ.....
「「白河以北一山百文」という言葉がある。(中略)この蔑称に抵抗する意味を込めて、宮城県仙台では『河北新報』が創刊され、旧盛岡藩出身で平民宰相といわれた原敬は「一山」と号したという。
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「白河以北一山百文」が自己認識として用いられる場合、強烈な主体性、アンチ西南意識が込められていた。たとえば、山形県米沢の『奥羽新報』は、いつの日か、『薩長人』に代わって、『奥羽人』が参議や卿輔となり、東北人ではなく、西南人が「一山百文」視されるだろう、と展望していたし、仙台の『東北新報』社長高瀬真之介(真卿、茨城県出身)は、就任挨拶で、これから「一山百文社会」の一員となって、「白川以南一山五厘ノ人物ト張リ合ントス」とのべている。また、青森県弘前の東奥義塾の『学友通信』にも、「鴨川以西一山五十文」という表現が見える。東北のイメージとして「白河以北一山百文」が定着するものの、そこには西南日本に対する明確な対抗意識が含まれていたことを忘れてはならないだろう。
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看下來好像是這兩個藩脫離奧羽越列藩同盟,跟新政府一起打東北,卻仍受到污辱,甚至出現「白河以北一山百文」這種輕蔑評論。現在仙台學生在甲子園打到冠軍,讓人想起150年前受到的屈辱。
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追蹤的東北推主們,也的確因為甲子園大勝,而紛紛發推祝福+提起戊辰戰爭
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