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この「トンチキ」文化は、単に(パフォーマンスを含む)楽曲の表現を指すのではない。それらの珍妙な曲を“あえて楽しむ”ファンたちがいなければ成立しないからだ。つまり、ハイコンクストな読解のうえでのコミュニケーションだ。

ここで重要なのは、ハイコンテクストなこの関係性はなかば排他的な市場だからこそ生じうることだ。外部性のなさこそが、送り手と受け手のコミュニケーションを濃密にし、「陳腐な表現」でも「トンチキの妙味」として流通させる。
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現在のK-POPにとっては、このソバンチャは“起源”としてはカウントされない傾向にある。それよりも重要視されるのは、1992年にデビューするヒップホップグループ、ソテジワアイドゥルのほうだ。たしかにその後のK-POPの音楽性にソテジは強い影響を残している。

だが、芸能プロダクションが単なるエージェンシーではなく、男性アイドルを育成してグループで売り出す方法論を高い精度で確立させたのはジャニーズ事務所だ。ソバンチャは、韓国においてその方法論を用いた最初の成功例だった。つまり、音楽よりも芸能プロダクションの方法論として大いに参考としたのは間違いない。
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ジャニーズをはじめとする日本のアイドルのサビの合唱は、こうした個々の特長を潰す。ユニゾンの合唱は、上手な歌を下手な歌の水準に押し下げるだけだからだ。そこで(おそらく無自覚に)コンセプトとされているのは、歌唱よりも集団としてアピールをすることだ。個人の前に集団がある。
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