Inlin🛞
今天發了好多噗不過覺得シャトナー桑這整段好感人發個噗記錄下
Inlin🛞
西田シャトナー伯【ジェイ マヒシュマティ】 on Twitter
1991年か92年に、僕は初めて東京で作品を上演しました。短いコントです。池袋の東京芸術劇場でおこなわれたアートパフォーマンスイベントに、コントを出品したのです。上演が終わった夕方、劇場前の公演で大きな虹をみました。
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お金がなくて、上演の前の日に劇団員の車2台で大阪からやってきました。メンバーの半数は、劇場の近くで車の中で皆で寝て、車に入れない半数は、なんと、公園で寝ました。実は僕も、公園で寝ました。
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そういうことがとても楽しかったです。夢ばかり語って過ごしていました。今もそれは変らないですけれども。あの日の空の虹は、それまでの人生で見た一番大きな虹です。それから、僕にとって池袋は特別な街になりました。
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「いつかここで芝居をやろう」と夢を語り、その夢は98年にかないました。その公演は、劇団員が何人かいなくなって初めての公演で、辛いこともありましたけれど、オリジナル音楽も作って、とても頑張りました。大ホールで、生声で、運命を切り開く「ナイフ」という男の芝居をやりました。
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劇団を解散したあと、僕は1人で芝居を作ることが多くなりました。ずい分長くそんな日々を過ごし、2010年にまた池袋で芝居をやれる機会をいただきました。『ソラオの世界』という芝居です。
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『ソラオの世界』はもともと、大掛かりなプロジェクションマッピングや、各ジャンルのパフォーマーが集まって芝居をやるという企画のために依頼されて書いた脚本でした。
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そのように企画された最初の『ソラオの世界』は、大がかりな舞台装置を組んで大きな劇場で上演される予定でしたが、制作上のトラブルで、上演中止になってしまったのです。
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実は僕はずっと、「この脚本は、僕の好きにさせてもらえるなら、映像も大道具も使わずに俳優だけで上演したい」と言っていたのですが、当時のプロデューサーは誰も信じてくれなかったのです。ところが、上演中止になったために、面白いことになったのです。
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プロデューサーが、「中止になったために、予算がない。ところでシャトナー、お前、何もなくてもこれを上演できると言ってたな? あれは本当なのか」と僕に言いました。僕は本当ですと答え、そして、僕の好きな「なにもない」スタイルでの上演が、改めて実現したのです。
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『ソラオの世界』はまず2009年に萬劇場という小劇場で上演されました。プロデューサーはそれを見て、「なるほど、お前が天才だってことは分かった。来年もこれを上演しよう。劇場を探すから待ってな」と言いました。
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そして2010年に、東京劇術劇場小ホールで『ソラオの世界』を上演したのです。僕は「また池袋に戻ってくることができた」と思いました。とても嬉しかったです。毎日自転車で、劇場の周りをぐるぐる走りました。
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僕はその頃、自宅は名古屋でしたが、池袋に仕事のための部屋を借りていたのです。秋葉原での仕事が多かったので、芝居のない日はたいてい、池袋と秋葉原を自転車で往復していました。そんな中での『ソラオの世界』の上演でした。
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『ソラオの世界』の楽日の頃、ある舞台制作会社の者だ、というプロデューサーがやってきました。芸術劇場のロビーで、その人は僕に、「ソラオの世界、最高に面白かったです。ところで、漫画原作の舞台化に興味はありますか?」と言いました。
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その人は続けました。「少年チャンピオンの漫画なんですけれど」。僕は「毎週読んでいますよ」と答えました。「では、『弱虫ペダル』も?」「ええ、第一話から読んでますよ。最高ですよね」「あの作品を舞台にできると思いますか?」プロデューサーは、僕にそうきいたのです。
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僕は、目の前で、火花が弾けたような気がしました。僕は毎日池袋から秋葉原に自転車で通いながら、小野田坂道に勇気づけられて暮らしていた漫画読みだったのです。そして長年、『破壊ランナー』を始めてとして、役者だけでレースを表現してきた演出家でもありました。
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気づくと「僕にしか、出来ないと思います」と答えていました。能力ではなく、運命だと思ったのです。それが2010年でした。
Inlin🛞
2年後の2012年に、舞台『弱虫ペダル』の最初の上演が実現しました。『ソラオの世界』でソラオを演じてくれた大山真志くんがキャストとして参加してくれていました。ハンドルひとつでキャストが走る写真が笑われたりもしましたが、僕は最高の芝居を作ることができたと思いました。最高でした。
Inlin🛞
2018年になりました。舞台『弱虫ペダル』を持って、僕は今日また、東京芸術劇場に戻ってくることができました。本当に本当に嬉しいのです。夜でも僕には虹が見えます。
Inlin🛞
嬉しいんです、と一言書きたかっただけなのです。でも、ずいぶん長い昔話をしてしまいましたね。さて今夜も作業をします。明日も明後日も、キャスト・スタッフ皆で準備を続け、最高の弱虫ペダルをお目にかけます。是非楽しみにしててください。
Inlin🛞
中間的推有一推應該是有發了一推刪掉然後說明刪掉的原因?
和上面這之後有一推講鹹蛋超人的和自己想記錄的重點無關就沒貼了
Inlin🛞
我真的蠻感受到作演劇的人語彙力真的都異常優秀(演員很不一定但是會寫劇本和作演出的經常讓我這感覺)這段真的看的超級感動
Inlin🛞
看完真的覺得 之前就覺得喜歡シャトナー桑作演劇的整個態度
不說作品感性合不合 他的推特文字經常讓我覺得「真是讓人很有好感的人呢」
Inlin🛞
ソラオの世界記得在車舞演了以後有再演(而且記得主演是多多
現在事到如今看到這段文字 突然忍不住想 シャトナー桑是抱持什麼心情看著ソラオの世界再演的呢(?
Inlin🛞
雖然是很自己看法的事情 不過我一直覺得這幾年2.5舞台的興盛 
和當時車舞的人氣真的是無法脫離的關係
自己在那之前就看網舞,所以對於當時真的很有感
Inlin🛞
讓平常不看舞台作品也不看真人化相關的宅宅族群
破除了那個限制與界限第一次地前去觀看的
就是這個舞台作品弱虫ペダル
Inlin🛞
也是因為這樣 看著這整段覺得真的很感動
因為是這麼認真地做著演劇的シャトナー桑給當時不熟舞台的族群展現了舞台與演劇的世界 才讓本來無緣的不少大眾踏進了這個世界吧
(不過真說起來,覺得這個作品真的人氣起來的時機點是在原作的動畫化時就是)
Inlin🛞
自己想想真的覺得
シャトナー桑作出的這個作品改變了這個世界(?)
而在這個作品之前還有很多很多,像是沒有ソラオの世界,或許那個製作人也不會去找他
Inlin🛞
追溯這些到最後
覺得腦內最有畫面的就是他講起初次在東京上演作品 劇團員半數睡在車上半數睡在公園內 在結束公演後看著劇場前的彩虹

現在自己活在這個時空 可能有一半是和那個彩虹連結著的
這種感覺真的是讓我真的覺得很感動 有點想哭
Inlin🛞
自己覺得很エモい(喔
Inlin🛞
雖然沒看過シャトナー桑其他作品(啊……很多東西都堆著沒看)不過我一直覺得怎麼說,他所做出的ペタステ的世界是一個很溫柔的世界。
原作一些部分那些作為現象而有光與暗的兩面性的感覺
甚至在ペタステ都被轉譯為更為純粹的東西
Inlin🛞
我覺得那是シャトナー桑作為弱虫ぺタル的讀者
他眼中看到的世界
Inlin🛞
以前還會買雜的年代(幹超早了)
好像有看到鯨醬說:シャトナー桑演出注重的比起重現二次元的角色
更重視的是這個角色的生存方式是不是這個角色(類似的)

當下就覺得 啊 哇咖嚕
Inlin🛞
其實看多舞台(雖然我看的還很少)會真的蠻感受到
ペタステ是很大層面的表現出シャトナー桑的主觀中的這個世界
不少演出家在作2.5演出時 怎麼說 會做的更為客觀點
Inlin🛞
但是ペタステ幾乎沒有甚麼讓人感受到冷澈感的部分
Inlin🛞
這算是之於我的ペタステ魅力吧。
我想了想覺得,ペタステ是能與シャトナー桑所看見的弱虫ぺタル的世界共感的話,就會很喜歡的作品。
Inlin🛞
シャトナー桑是很坦率地在表現這些部分的演出家
有的演出家喜歡做很騙術的劇 放針對觀眾的詭計 (我怎麼好像很暗示誰)
也有的演出就是演出現象與畫面 讓觀眾自行解讀與思考
但ペタステ給予觀眾的大概就是「讓觀眾一同共感這份情緒」
Inlin🛞
怎麼說,我覺得這份光明磊落和真的很正面的情感真的很珍貴……
像ペタステ這樣這麼能看出製作者的對於故事的情緒的劇大概很少見吧。
事到如今很遲的發現,我大概最喜歡ペタステ的就是這點XD
Inlin🛞
我覺得能畫出弱虫這部作品的渡邊老師和作出ペタステ的シャトナー桑
想想大概是有某種同性質的東西的(我對渡邊老師也有與シャトナー桑性質很近的好感)
Inlin🛞
ありがとう弱虫ぺタル(最後的結論到底
Inlin🛞
覺得自己除了網舞(和我個人充滿愛恨揪葛的刀)以外很少像這樣在講對舞台作品與製作者(或者演員)的想法的事情
Inlin🛞
因為自己真的是很懶
但今天真的看到シャトナー桑這整段感觸太深了XD
Inlin🛞
有感網舞教會了我喜歡作品之外 去理解製作出這個作品的人們的想法是一件很快樂很快樂的事情 現在的我覺得自己能發這樣的噗我自己很開心
Inlin🛞
今後也會繼續關注著シャトナー桑的文字與作品 感受這種心情吧(?)
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